2012年2月20日月曜日

存在しない存在



とあるきっかけで、作家エリザベス・ギルバートさんの

「創造性をはぐくむには」という動画を見ました。







この中で、おっ!と思ったのは、古代ローマ人が受け入れて

いた目に見えないものの存在について、でした。そしてその

存在を受け入れることで、自分との距離を保つことができて

いたということ。



これは、日本における精霊信仰(アニミズム)にも通じている

と感じました。日本に限らずどこでも、大いなる自然に囲まれ

ていたところ、ルネッサンスやらキリスト教のように「人」を

主にしていなかった場所では、見えないもののなかにいろいろな

ことを見出していたのだと思います。



欧米においては、キリストという絶対的な存在が現れることで

生活や考え方が一変した、と司馬遼太郎さんがある対談の中で

述べていました。



日本においては、縄文時代の頃からアジアの

国々の影響を受けつつも、そのいい部分だけを取り入れるという、

ある意味適当な文化ができ、そのため仏教も神道もごっちゃの

生活ができたといいます。それは同時に見えない存在を信仰できる

生活でした。



でも近代になり、西洋の文化が流れ込み、日本にも絶対的な存在が

必要だと迫られた結果、天皇や神道を絶対的な存在にして、戦争に

利用されたと・・・



近代化には絶対的な存在:人々を洗脳できるような何かがつきもの

なのかもしれません。



失ったものを取り戻すことは難しいかもしれませんが、今でも

人々はそこにある見えない何かの存在を感じる瞬間がある

思います。



芸術家のように神がかるというレベルまでは行けないけれど・・・

純粋な自然のなかで、自然に何かを感じ取り、頭を垂れてしまう

ような瞬間。見えない何かに見守られているように感じる瞬間。

自分の力を超えた何かが発揮される瞬間。



その存在を認めることは、生きていく上で、自分の存在を受け入れ

るひとつの方法なのかもしれません。古代の人が、その存在を感じる

ことによって、様々な感情や結果を自分から少し切り離したように。



太平洋戦争のような戦時中に比べたら、現代は本当に幸せだと

思いますが、真の幸せが現代にあるか?というと疑問です。

その疑問を解く鍵の一つが、「目に見えない存在」にあるような

気がしてならない今日この頃。




2061449173_b98c0715ac





0 件のコメント:

コメントを投稿