2012年1月29日日曜日

温度



新しいものを見たり



新しい命を感じたり



新しい出会いに



新しい感情に



そう、ブラジルの音楽をはじめてライブで聴いた



あのときみたいに



勝手に心と体が踊りだして



雲間に光が差すように








Toda menina baiana - Gilberto Gil

2012年1月27日金曜日

暦




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やっとやっと今年のカレンダーを飾りました。



もやい工藝でいただいた、手仕事フォーラムのカレンダー。



d&departmentで買った、小学校の机を切り出して再利用した

フォトスレームに。



フォトフレームには杉の木の皮からできた和紙を敷いて。



これから毎月入れ替えるのが楽しみです。




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今日の陽射しのような心温まる一年になりますように。



2012年1月18日水曜日

静かなる炎



最近家ではすっかりインターネットから遠のいてしまい、

何をしているかといえば、眠気につつまれているか、本を

読んでいます。



たまたま2冊の興味深い本が手元にあり、普通なら1冊ずつ

読むのですが、タイプが違いすぎるのであえて交互に

読んでいます。その日の気分に合わせられるし、疲れない

ような気がするのです。



その2冊は、

「春になったら苺を摘みに」梨木香歩

と

「落日燃ゆ」城山三郎



どちらの著書も初めて読むものです。

初めて読んでいるのに、とても面白く、どちらの著者にも

共感を抱けるのは、本をすすめてくれた2人が、私のことを

理解してくれているからだと思います。



前者は著者が学生時代を過ごした英国での体験を綴った

エッセイ。でも、エッセイと呼ぶのに違和感を感じるような

示唆にとんだ内容。生き方を貫くことについて問いかける

深い文章に、著者の繊細さと知的さを感じました。



一方後者は、東京裁判で絞首刑を宣告されたA級戦犯のうち、

ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅についての

生涯を描いた小説。私の苦手な主観を感じるような内容ではなく

淡々とその時代に起こったことや広田自身についてを書くという

語り方がとても気に入りました。



こんなに違う内容なのに、交互に読んでいるせいか、共通点を

しばしば感じます。



感じ方や書き方がとても客観的であること。

とても情熱的な人生なのに、常に平静を保っていること。

使命を感じ、生き方を貫いていること。

十分に知識を重ねた上での、平和・博愛精神をもっていること。



きっと自分もそんな生き方を求めているのだろうと思いました。



印象に残った文章、いろいろあるのですが、以下

「春になったら苺を摘みに」梨木香歩著

より抜粋しました。



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私はクリスチャンではない。

それなのにこの何十年か頑固な山羊のようにその回りばかり

うろうろしてきた。神を信じているかと単純に尋ねられれば

今でもそのたび真剣に考え込み、「それはあなたの定義する

神という概念による」とまじめに答えてしまう。

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ひとつひとつの物事を真摯に受け止め、学び、熟考し、自分

なりの答えをまた真摯に伝えること。

それは当たり前のようでなかなか出来ないことであり、愛や

情熱を感じることであり、自分がとても深めたいものです。






2012年1月11日水曜日

終わりからはじまりへ




また、浮かんできた、言葉の数々。

近頃情緒的になっているのでしょうか。

はたまた記録すべき出来事のない日々なのか。

あるいはその両方、なのでしょう。





命の終わりを経験し



思いを馳せる命のはじまり



記憶はさらに遡り



地球の誕生 46億年前



人類の誕生 2〜3000年前



精子と卵子が結びつき



ひとつの卵となったとき



そこからさらに心臓が形成され



ヒトの形になる過程



ヒトの形になっただけでも



奇跡のような進化の証



10ヶ月の時を超えて



この世に生を受けた使命



地球のなかの母親という大地



母親のなかの子宮という地球



日々何億、何兆と



宇宙に生まれ、宇宙に還るすべての命



そのすべての命と



私はちっとも変わらない



命と記憶遺すため



またあの場所に還るまで








2012年1月8日日曜日

知の力、無知の罪



獏さんの詩に刺激されたのか、頭の中に言葉がほわっと

浮かんできて、並べてみたら、最近感じたことや、自分への

戒めでありました。




インターネットがすばらしいのは



知の共有ができることだって



知の共有ってなんだろう



誰かが自分で考え、生み出した何かを



誰かと分かち合い



誰かの役に立てること



ところがいまじゃあ



リツイートとかなんとか



誰かの考えを引用しては



まるで自分が言ったみたいに



誰かに与えた気になって



知は深まらぬまま



うけうり、うのみ、あおられて



誰かを責め立てては



そうだそうだと騒ぎ立て



まるで知からはほど遠い



無知が導く浅はかな世界



疑問や反感 共感を



とことん深め調べれば



やがて見つかる自分の答え



自分の言葉で語れぬままに



人に共有すべからず



昔話だって歌だって



自分の言葉で語り継ぐ



こどもたちへの贈り物



知恵が生み出す発見は



行動となり変化して



未来の知恵へ創造へ





インターネットに限らず、生活すべてがそうなんだよなあ。

芸術も。仕事も。





2012年1月5日木曜日

雲の上と下



年末、我が家に届いた一冊の詩集。

荒井良二さんのライブで出会った、ひとつの詩から知った人。

自分へのプレゼント。未来に残したい言葉。


山之口貘最後の詩集、「鮪に鰯」。



本の出版は1972年。わたしがうまれるだいぶ前に、生み出されて

いた詩。そんな昔のものとは思えないくらい、ふたたび現実に

なってしまったことが、ただただかなしい。



きっとその当時の人々よりも私たちはかなしい。

雲の上も、雲の下も。すっきり晴れた日だって、まるで雲に覆われて

いるかのように、つきまとう見えない不安。



詩に込められた想いを、いまふたたび。




山之口獏 「鮪に鰯」より



「雲の上」 



たった一つの地球なのに

いろんな文明がひしめき合い

寄ってたかって血染めにしては

つまらぬ灰などをふりまいているのだが

自然の意思に逆ってまでも

自滅を企てるのが文明なのか

なにしろ数ある国なので

もしも一つの地球に異議があるならば

国の数でもなくする仕組みの

はだかみたいな普遍の思想を発明し

あめりかでもなければ

それんでもない

にっぽんでもなければどこでもなくて

どこの国もが互に肌をすり寄せて

地球を抱いて生きるのだ

なにしろ地球がたった一つなのだ

もしも生きるには邪魔なほど

数ある国に異議があるならば

生きる道を拓くのが文明で

地球に替わるそれぞれの自然を発明し

夜ともなれば月や星みたいに

あれがにっぽん

あれがそれん

こっちがあめりかという風にだ

宇宙のどこからでも指さされては

まばたきしたり

照ったりするのだ

いかにも宇宙の主みたいなことを云い

かれはそこで腰をあげたのだが

もういちど下をのぞいてから

かぶった灰をはたきながら

雲を踏んで行ったのだ




「雲の下」



ストロンチウムだ

ちょっと待ったと

ぼくは顔などしかめて言うのだが

ストロンチウムがなんですかと

女房が睨み返して言うわけなのだ

時にはまたセシウムが光っているみたいで

ちょっと待ったと

顔をしかめないではいられないのだが

セシウムだってなんだって

食わずにいられるもんですかと

女房が腹を立ててみせるのだ

かくて食欲は待ったなしなのか

女房に叱られては

眼をつむり

カタカナまじりの現代を食っているのだ

ところがある日ふかしたての

さつまの湯気に顔を埋めて食べていると

ちょっとあなたと女房が言うのだ

ぼくはまるで待ったをくらったみたいに

そこに現代を意識したのだが

無理してそんなに

食べなさんなと言うのだ







2012年1月3日火曜日

団欒からはじまる年



明けましておめでとうございます。

年末のなぜだか分からないバタバタで、すっかり

スローペースになったこのブログですが、今年も

ときどき覗いていただけるとうれしいです。



年末年始は実家ですっかりのんびりしていました。

昨年の疲れを癒すかのように、だら、だら。

皆が集うあたたかい空気の中で過ごしていて感じたのは、

親になっても、親が在る限り、私はまだまだこどもだな、

ということ。



親にしてもらったことは、そのまま親には返せない。

自分が親になって、こどもに与えるしかない。

動物としての本能とは別に、人間だからこそ引き継ぐ

心あるつながり。つないでいくために、日々感謝しながら

こどもと過ごしたいです。




まるで羊水のようにあたたかい団欒のなかで。



いろんな喜怒哀楽を経験して長く生きて行くこと。

10ヶ月の安心と2週間の痛みで旅立つこと。

そこに「どっちがいい」ってことはないんじゃないかと

思ったりして。



激動過ぎて、もがき。這い上がるのに精一杯だった2011。

今年はもう少し、ゆっくりで。もう少しじっくりな・・・

そんな1年になればいいな、と思っています。



何かが起こる、ということは何かを考え、真実と向き合う

きっかけになるということを痛感した年だったので、

これから起きることに臆病にならず、小さな温もりが

空から見守っていてくれると信じて、何事にも向き合って

いけたら。



お正月に走る人たちを見て、無性にどこまでも走りたく

なってしまった1年のはじまりでした。