2012年2月22日水曜日

YOKOHAMA

週末ひさしぶりにずっと3人で過ごしました。

2人だったら決して行くことのない場所へ。



まずは横浜からボートで山下公園まで。

出かける前に「今日は船に乗ろう!」と言ったら

Yのカヤックのオールを運び出してきた息子。

期待とは違ったかもしれませんが、けっこう

喜んでました。




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公園で走り回った後、気になる巨大な船、氷川丸へ。


最初は大して興味を示さなかった息子も、操縦室に

入ると大興奮。さすが男の子です。




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船から海を眺めたことは、これまでにも何度かありますが、

改めて歴史のある船に乗ってみると、かつての日本人が

初めて遠い海に向かうときの興奮が伝わってきました。




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それから中華街でおやつタイム。

しっかり食事するのではなく、好きなものを食べ歩く

というのが楽しかったです。



子供がいると、これまで目を向けなかった場所やものに

触れることができ、またそれを素直に楽しいと思えるのが

驚きでした。



一緒にサーフィンや山歩きができるようになるまで、こういう

楽しみ方ができるのか!とふたりで気付いた週末でした。




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2012年2月21日火曜日

気楽な食卓



家族の健康を考えたら、なんとなく和食を作らなきゃ!と

思い込んでいたのですが、最近和食を作る気になれない日も

多く・・・



でも塩麹のレシピを見たり、昔の人々の生活に思いを

馳せたりしていたら、和食にしばられることはないのだ

という考えに至りました。



「発酵」や「酵素」というキーワードは、和洋中その他にも

必ず含まれていることに気付いて、それを積極的に

取り入れれば、今はいいかなと思っています。



結局はしっかり時間をかけて作られていることや、素材

そのままを生かすことが重要で、洋食もアジア料理も

添加物などなく、保存食が多かった時代はすべてが

健康食だったと思うのです。



最近ようやくご飯を作る気が出てきたので、いろんな

食品に注目して、食卓に加えてみたいです。




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今日は鶏ムネ肉の塩麹漬け、ハニーマスタード添え。

モツアレラチーズとクルミのサラダに、すりおろした

玉葱のドレッシングをかけて。そして味噌汁に納豆ご飯、

かぶの塩麹漬け・・・と発酵繋がり和洋折衷で。




2012年2月20日月曜日

存在しない存在



とあるきっかけで、作家エリザベス・ギルバートさんの

「創造性をはぐくむには」という動画を見ました。







この中で、おっ!と思ったのは、古代ローマ人が受け入れて

いた目に見えないものの存在について、でした。そしてその

存在を受け入れることで、自分との距離を保つことができて

いたということ。



これは、日本における精霊信仰(アニミズム)にも通じている

と感じました。日本に限らずどこでも、大いなる自然に囲まれ

ていたところ、ルネッサンスやらキリスト教のように「人」を

主にしていなかった場所では、見えないもののなかにいろいろな

ことを見出していたのだと思います。



欧米においては、キリストという絶対的な存在が現れることで

生活や考え方が一変した、と司馬遼太郎さんがある対談の中で

述べていました。



日本においては、縄文時代の頃からアジアの

国々の影響を受けつつも、そのいい部分だけを取り入れるという、

ある意味適当な文化ができ、そのため仏教も神道もごっちゃの

生活ができたといいます。それは同時に見えない存在を信仰できる

生活でした。



でも近代になり、西洋の文化が流れ込み、日本にも絶対的な存在が

必要だと迫られた結果、天皇や神道を絶対的な存在にして、戦争に

利用されたと・・・



近代化には絶対的な存在:人々を洗脳できるような何かがつきもの

なのかもしれません。



失ったものを取り戻すことは難しいかもしれませんが、今でも

人々はそこにある見えない何かの存在を感じる瞬間がある

思います。



芸術家のように神がかるというレベルまでは行けないけれど・・・

純粋な自然のなかで、自然に何かを感じ取り、頭を垂れてしまう

ような瞬間。見えない何かに見守られているように感じる瞬間。

自分の力を超えた何かが発揮される瞬間。



その存在を認めることは、生きていく上で、自分の存在を受け入れ

るひとつの方法なのかもしれません。古代の人が、その存在を感じる

ことによって、様々な感情や結果を自分から少し切り離したように。



太平洋戦争のような戦時中に比べたら、現代は本当に幸せだと

思いますが、真の幸せが現代にあるか?というと疑問です。

その疑問を解く鍵の一つが、「目に見えない存在」にあるような

気がしてならない今日この頃。




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2012年2月18日土曜日

記憶の底にある海




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今日は息子が1歳半まで過ごした場所へ。



ここで毎日のように海に入っていた私を

夫は息子を背負って見に来てくれたっけ。



このところは、またしばらく海に入れなくなり

息子は私が海に入る姿を目にしていないけれど、

「ママ今日は入る?」

「あっ波が来たっ」

といろいろなことを理解している息子の姿を見て、

ああ、ここに住んでいてよかったな、と思う。




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海に入れないときでも、幸せと思えるようになったこと。

ふたりの背中を見ているだけで、なんだかじんわり

心があたたまってしまうこと。




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どんなに小さくても記憶は残っていて、たとえそれを

思い出すことは出来なくても、今の自分に「皺」を

刻み込んでいる。



何度も波に乗ったあと目を瞑ると、まぶたの奥に波が

迫ってくるみたいに、いまは目を瞑るとふたりの背中が

思い浮かぶ。




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たとえますます海に入る機会が減ってしまったとしても、

その背中が3人にでも4人にでもなることを夢見ている。



そしていつか2人の生活に戻ったときに、またこの場所で

海に入れたら、もう何もいらないなあ。








2012年2月16日木曜日

体と意識を未来へ贈る



結局インフルエンザの予防接種はうたないことにしたの

ですが、その際参考にしたのは、この本でした。




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「まちがいだらけの予防接種」 藤井俊介



内容としては、予防接種は安全性・有効性・必要性に疑問があり、

それでも予防接種が推奨されるのには、裏に理由がある、という

ものでした。



これを読んで感じたのは、私たちが何の疑問も抱かずに日常で

行っていることに関して、もっと知識を深め、真実を見る力を

持たねばならない、ということです。



そのときのこと、その場で楽になることばかり考えて、薬や

便利なものに頼ってしまうこはが多々ありますが、それが

結果的・将来的によい結果となるかどうか。



ネイティブアメリカンは「7代先まで考えよ」と言いました。

地球のこと、部族のこと、自分のこと。



自分の生命力を上げることは、こどもの生命力を上げることに

繋がります。体にとって不自然なものや異物を受け入れることは

免疫力を弱め、結果的に不自然なものや異物(たとえば抗がん剤

や放射線)をさらに取り込まなければいけないような死を迎える

ことになりやすいのではないかと感じます。



住宅の化学物質、食べ物の添加物、薬品、土に戻らないすべての

もの。スーパーでも、服を買うときも、電気を使うときも、

ご飯をつくるときも、意識したいこと。



全部は難しいけれど、知る努力をすることはできる。それを

健やかな体で証明し、こどもに知恵として残すことができるように

言葉にしていこうと思います。






2012年2月15日水曜日

再生への道のり



大切な人を失ってから、数ヶ月。

猛烈に「死」によって繋がることを求めた。



今まで聴いていた音楽は聴けなくなり

今まで読んでいた本は読めなくなり。

今まで話していたことを話せなくなった。



死んだ人の歌を聴き

誰かが死ぬ本や、誰かを失った人の記事を探し

同じ体験をした人と悲しみを分かち合い

死と命について、いろんな人と話した。



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こんなにも「共有」を求めたのは、はじめてで、

でもそれは死を乗り越えるために必要な、ひとつの段階

だったんだと思います。



半年以上たって、ようやく「生きている」音楽が耳に入り

生き様や生活、歴史を語る本を読めるようになり

自分の生活に目を向けられるようになりました。



私たちが避けて通ることのできない「死」は、愛する人の死

を経験することで、はじめて受け入れられるものかもしれない

と思いました。



出産と死という、「決まった道のない」出来事。

その道は隣り合わせの再生への道。

見えないものを受け入れるための道。



カトリックの儀式であるAsh Wednesdayでは、人々が懺悔の

ために頭に灰をふりかけるそうです。

灰である理由は「死と再生の象徴」だから。



遠い昔から人々は、死と再生が共に存在することを

知っていたのですね。きっと今よりずっと死が身近に

あったから、死によって生かされる意味を身を以て

感じていたのではないかと思います。



それを感じるために必要なのは、与えられることと

与えることに対する感謝なのだ、と日々実感しています。




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2012年2月10日金曜日

文字と情報についての考察



こうしてブログを書いたり、近況をシェアしたりするとき

使っているけれど、どうも本当には仲良くなれない気がする

この世界。



本を読んでいると気にならないのに、携帯やパソコンを触って

いると、なんとなく閉じた世界に入ってしまうような気がする

のはなぜなんだろう。



Yに「家族といるときはあんまり携帯ばかり見ないで」と

言うと、「新聞や本ならいいのに、なぜ?」と聞き返された。



最近その理由がちょっとだけ分かった気がする。



文字だけの本は、本当に文字だけで、必要なのは視覚だけ。

だから、本を読んでいる間や読んだ後、私たちは自由に視覚

から得た情報を、感情や聴覚や嗅覚へと深めることが出来る。

何もないからこそ、世界が広がっていく。五感に余裕がある。

特に素敵な作品においては、思いっきり想像を膨らませられる。



音楽や映画は、視覚と聴覚が必要で、動きにもついていかなければ

ならないから、自分のペースでは読み進むことが出来ない。

映画を見ている最中に、いろんなことを想像するのはちょっと難しい。



インターネットにおいては、視覚、ときに聴覚、さらに指を動かす

という動作が必要なことが多くて、五感に余裕がない。

いろんな情報がいっぺんに見られるから、ゆっくり考える時間も

あまりない。・・・私にとっては。



きっと私はゆっくりとした流れの中で、感覚を開いておきたいのだ

と思う。

例えば、ランニング。車を運転するには、いろんな感覚が必要だけど、

山の中を走るときは、車を気にせず、走ればいい。だからこそ景色や

鳥の声や空気の振動に、反応できる。


そんな風に、身の回りのことを「五感の状態」で考えてみたら

自分の好きや苦手の謎が少しだけ解けました。

もう少し、考えてみよう。