2011年4月29日金曜日
麓
いつも支えてくれてる皆さまに
本当はひとりひとり連絡したい
でもまだ心の整理ができてないので
ここで伝えさせてください
25日の夜中に、泣き出したあと
突然麓の呼吸は停止してしまいました
救急車で病院に運ばれて、新生児集中治療室に入り、
先生たちは懸命に処置してくださいましたが、
28日の朝小さな命は高い空の上に旅立ちました
いまでも現実とは思えないくらい突然の出来事
原因は、先天性横隔膜ヘルニアという病気だそうで、
横隔膜にあいた穴から内臓が上がって、心臓と肺を圧迫
してしまったことによる呼吸困難
新生児の疾患では最も重いもののひとつだそうです
いまはただ悲しいけれど、麓にたくさんありがとう
といいたい
ママの体をほとんど傷付けず、すぐに産まれてくれたこと
産後は元気そうにして一緒に家で過ごしてくれたこと
私たちが目覚めるのを待って旅立ってくれたこと
麓は本当に優しい
こんなにも強い家族の絆
こんなにもありがたい元気なからだ
麓がうまれてくれたから感じることができた
ありがとう
ありがとう
麓がうまれてくれて本当によかった
麓に届きますように
世界中の人々が生まれてきた喜びに包まれますように
Yの胸でこどものようにわんわん泣いたあと、
私たちは麓と稜太のためにもこの辛さを乗り越えて
前にすすんでいこうと、ふたりで誓いました
いまは涙がとまらないけど…
私たちは立ち上がって、3人ですすんでいくから
おじいちゃんも麓も、見守っていてね
4/28 8:51 麓 永眠
2011年4月24日日曜日
13 years later
遠く離れた鹿児島の地を、私は今まで数回しか訪れた
ことがない。だから、13年前に亡くなった父方の祖父
にも数えるほどしか会ったことがなかった。
にもかかわらず、祖父の印象は強く心に残っているし、
祖父を誇りに思うことがしばしばあった。
祖父は大正のはじめ高知に生まれ、東京に出て教員
免許をとり祖母と結婚し、戦時中こどもたちを連れて
祖母の実家がある鹿児島に疎開した。
そして6人のこどもとともに今私たちが滞在している
この家でしばらく暮らしていた。6人兄弟の次男である
私の父は、この家で兄弟の面倒を見ながら畑仕事をし、
牛やニワトリの世話をしてから学校に通っていたそうだ。
結局祖父は高知に帰ることなく、亡くなるまで鹿児島で
暮らした。
この家には祖父の写真や父が小さい頃の写真が壁に
飾られていて、かつてないほどに自分の「血」や、
自分が生まれてくるまでの繋がりを感じられる。
祖父はとても勉強家で、教職を終えたあとも、死ぬまで
書道や詩吟、油絵に没頭していた。市民運動にも積極的
に参加していたらしい。
そして60年前から、ボーイスカウトの隊員として
たくさんのこどもたちの面倒をみてきた。
この家にはそんな祖父の描いた絵や、持っていた書籍、
手紙、写真が残されている。
昨日はじめて手にとったアルバムの間に、祖父が新聞記事
を集めたスクラップブックを見つけた。ページをめくると、
大事そうにとってある記事や手紙のあとに張ってあったのは
私たち家族の写真だった。
とても強く、厳しい印象があった祖父。
「おじいちゃん」というより「先生」みたいだった祖父。
当たり前だけど「ひとりの父親」であった姿に初めて触れて…
遠く離れて暮らす息子とその家族である私たちをいつも
想っていてくれたことを知り、涙が出そうになった。
それなのに数回しか会いにこれなかった。
祖父が亡くなって13年たった今、今までで一番祖父の
暮らしていたこの地を近く感じている。
息子は毎朝、訳も解らず祖父のお墓に手を合わせている。
そんな背中を見て、いつか祖父の話を息子にしようと思う。
いつか話せるように、ここでいろんな人に祖父の話を
聞いて帰りたい。
自分のルーツを語り継ぐこと。
受け継いだ何かを伝えること。
家族の愛の大きさを語らずして伝えること。
ここにきてすぐの頃、テレビで見た被災地の映像。
家族全員を津波で失い、ひとり残された高校生の女の子が
微笑んで言った。「何日もひとりで泣きました。でも
泣いても誰も幸せにならない。泣いたら今面倒をみて
くれてる親戚に心配をかけるし、天国の家族も心配
するはず。だからもう泣かないと決めたんです。」
何も失っていない私たちは、今改めて毎日の小さな幸せが
どんなに脆く、脆いゆえにどれほど大切であるかに気付き、
人生を生き直そうとしている。
3つの布団の上、4人並んで眠ること。
手離したくないものと一緒に今日も眠る。
家族の愛はいつの間にか受け継がれているんだ。
若かりし頃の父。うーん、誰かに似ているような。
私が生まれたとき、祖父は私を見に来てくれていた。
私は今日もお墓に手を合わせ、心の中でつぶやく。
「おじいちゃん、ずっと私たちを見守っていてください」
祖父は高校生の私に言った。
「青年の主張をせい!」
ことがない。だから、13年前に亡くなった父方の祖父
にも数えるほどしか会ったことがなかった。
にもかかわらず、祖父の印象は強く心に残っているし、
祖父を誇りに思うことがしばしばあった。
祖父は大正のはじめ高知に生まれ、東京に出て教員
免許をとり祖母と結婚し、戦時中こどもたちを連れて
祖母の実家がある鹿児島に疎開した。
そして6人のこどもとともに今私たちが滞在している
この家でしばらく暮らしていた。6人兄弟の次男である
私の父は、この家で兄弟の面倒を見ながら畑仕事をし、
牛やニワトリの世話をしてから学校に通っていたそうだ。
結局祖父は高知に帰ることなく、亡くなるまで鹿児島で
暮らした。
この家には祖父の写真や父が小さい頃の写真が壁に
飾られていて、かつてないほどに自分の「血」や、
自分が生まれてくるまでの繋がりを感じられる。
祖父はとても勉強家で、教職を終えたあとも、死ぬまで
書道や詩吟、油絵に没頭していた。市民運動にも積極的
に参加していたらしい。
そして60年前から、ボーイスカウトの隊員として
たくさんのこどもたちの面倒をみてきた。
この家にはそんな祖父の描いた絵や、持っていた書籍、
手紙、写真が残されている。
昨日はじめて手にとったアルバムの間に、祖父が新聞記事
を集めたスクラップブックを見つけた。ページをめくると、
大事そうにとってある記事や手紙のあとに張ってあったのは
私たち家族の写真だった。
とても強く、厳しい印象があった祖父。
「おじいちゃん」というより「先生」みたいだった祖父。
当たり前だけど「ひとりの父親」であった姿に初めて触れて…
遠く離れて暮らす息子とその家族である私たちをいつも
想っていてくれたことを知り、涙が出そうになった。
それなのに数回しか会いにこれなかった。
祖父が亡くなって13年たった今、今までで一番祖父の
暮らしていたこの地を近く感じている。
息子は毎朝、訳も解らず祖父のお墓に手を合わせている。
そんな背中を見て、いつか祖父の話を息子にしようと思う。
いつか話せるように、ここでいろんな人に祖父の話を
聞いて帰りたい。
自分のルーツを語り継ぐこと。
受け継いだ何かを伝えること。
家族の愛の大きさを語らずして伝えること。
ここにきてすぐの頃、テレビで見た被災地の映像。
家族全員を津波で失い、ひとり残された高校生の女の子が
微笑んで言った。「何日もひとりで泣きました。でも
泣いても誰も幸せにならない。泣いたら今面倒をみて
くれてる親戚に心配をかけるし、天国の家族も心配
するはず。だからもう泣かないと決めたんです。」
何も失っていない私たちは、今改めて毎日の小さな幸せが
どんなに脆く、脆いゆえにどれほど大切であるかに気付き、
人生を生き直そうとしている。
3つの布団の上、4人並んで眠ること。
手離したくないものと一緒に今日も眠る。
家族の愛はいつの間にか受け継がれているんだ。
若かりし頃の父。うーん、誰かに似ているような。
私が生まれたとき、祖父は私を見に来てくれていた。
私は今日もお墓に手を合わせ、心の中でつぶやく。
「おじいちゃん、ずっと私たちを見守っていてください」
祖父は高校生の私に言った。
「青年の主張をせい!」
2011年4月23日土曜日
お伽と夢と現実
もうすぐ二歳になる息子が、毎晩せがむのは「ぞう」の話。
布団に入ると口にするのは「ぞう」。ぞうのともだちは
「メーメー」と決まっている。
でも決まっているのはそれだけ。
私はその場で話を作って、息子に聞かせる。
大きいぞうと小さいぞうの話。
迷子になったぞうに星が降る話。
ぞうの鼻の滑り台の話。
ぞうの大きいパンの話。
だいたいどれも最後はぞうが眠たくなって寝てしまう。
そんな単純なお伽話を、息子は頷きながら一生懸命
聞いてくれる。
そのあと、どんな夢を見ているんだろう。
鼻が詰まったり、咳をしたりして苦しそうに眠る姿を
見るのはとても辛い。逆に、安らかな寝顔を見ることは
この上ない幸せ。
昨日の朝、息子は起きてすぐに大泣きした。
「抱っこ」と言うだけで何をしても泣き止まない。
1時間以上試行錯誤したあと、何もしてあげられない自分に
涙がでてきて、ふたりで泣いた。それを聞いたYがびっくり
して起きてきて、三人で抱き合った。
私は急に心落ち着いて「ばかだなあ。母がこどもの前で
泣いても仕方ないな」と反省…
泣き声は気にせず、夢と現実の狭間で迷子になった
息子をひたすら抱きしめることにした。
約2時間経過して、息子はぱったり泣き止んだ。
こどもは本当にすごい。
見返りのないことを知りながらすべて与えたいと思わせて
くれる。そして与えた分だけ自分に与えられたような気分に
なる。まさに母乳が与えれば与えるほど溢れ出てくるように、
満たされていく心。
友人Oさんが送ってくれた本の一冊、「海からの贈物」
��リンドバーグ夫人著)で心に残った文章。
いろいろな経験・時間とともに変わる愛のかたち。
親子でも夫婦でも、究極のかたちは同じかもしれない。
抜粋ここから-----
完全に調子が合っている二人の踊り手は各自の、そしてまた
相手のうちにある「翼がある生命」を決して滅ぼさない。
しかしこの踊りの技術を、我々はどうしたら覚えることが
できるだろうか。なぜそれがあれほど難しくて、我々は躊躇
したり、躓いたりばかりしているのだろうか。
我々が前の瞬間に縋り付いたり、次の瞬間に待ち切れずに
手を出したりするのは、恐怖からだと私は思っている。
恐怖が「翼がある生命」を滅ぼすのである。そしてこの恐怖
を追い払うのには、どうすればいいのだろうか。
恐怖はその反対である愛によってでなければ追い払えなくて、
心が愛で一杯になっている時には、恐怖や疑惑が入り込む余地
はない。そしてこの恐怖を感じないということが踊りの秘訣
であって、二人の人間のどちらもが愛する余りに、相手も
自分を愛してくれているかどうか考えることを忘れ、ただ
自分が愛していて、その音楽に合せて動いていることしか
念頭にない時、二人は初めて同じ律動に完全に調子を合せて
踊ることができるのである。
抜粋ここまで-----
私もそんな恐怖に囚われていたひとり。
愛する人の過去や二人の現在、そして未来。でも家族が
増えていく中で、確実に信頼は深まって。いま家から遠い
この地で、私の心はまるで子宮で羊水に包まれているように
温かく、心地好い。自然と家族の愛がこんなにも近くにある。
それがどんなに幸せなことか、ひしひしと感じている。
妄想でもお伽でもない、現実と結び付いた愛情。
誰もが当たり前に求めているもの。
Yのflickrアカウントに鹿児島滞在アルバムの一部を
アップしました。よかったら覗いてみて下さい~。
今日のおやつ:
叔母がくれた手作りおやつ、「小麦だんご」。
餡子がもちもちした小麦粉にくるまれている素朴な味。
竹の皮で包んである保存食。昔の人の知恵は無駄がない。
布団に入ると口にするのは「ぞう」。ぞうのともだちは
「メーメー」と決まっている。
でも決まっているのはそれだけ。
私はその場で話を作って、息子に聞かせる。
大きいぞうと小さいぞうの話。
迷子になったぞうに星が降る話。
ぞうの鼻の滑り台の話。
ぞうの大きいパンの話。
だいたいどれも最後はぞうが眠たくなって寝てしまう。
そんな単純なお伽話を、息子は頷きながら一生懸命
聞いてくれる。
そのあと、どんな夢を見ているんだろう。
鼻が詰まったり、咳をしたりして苦しそうに眠る姿を
見るのはとても辛い。逆に、安らかな寝顔を見ることは
この上ない幸せ。
昨日の朝、息子は起きてすぐに大泣きした。
「抱っこ」と言うだけで何をしても泣き止まない。
1時間以上試行錯誤したあと、何もしてあげられない自分に
涙がでてきて、ふたりで泣いた。それを聞いたYがびっくり
して起きてきて、三人で抱き合った。
私は急に心落ち着いて「ばかだなあ。母がこどもの前で
泣いても仕方ないな」と反省…
泣き声は気にせず、夢と現実の狭間で迷子になった
息子をひたすら抱きしめることにした。
約2時間経過して、息子はぱったり泣き止んだ。
こどもは本当にすごい。
見返りのないことを知りながらすべて与えたいと思わせて
くれる。そして与えた分だけ自分に与えられたような気分に
なる。まさに母乳が与えれば与えるほど溢れ出てくるように、
満たされていく心。
友人Oさんが送ってくれた本の一冊、「海からの贈物」
��リンドバーグ夫人著)で心に残った文章。
いろいろな経験・時間とともに変わる愛のかたち。
親子でも夫婦でも、究極のかたちは同じかもしれない。
抜粋ここから-----
完全に調子が合っている二人の踊り手は各自の、そしてまた
相手のうちにある「翼がある生命」を決して滅ぼさない。
しかしこの踊りの技術を、我々はどうしたら覚えることが
できるだろうか。なぜそれがあれほど難しくて、我々は躊躇
したり、躓いたりばかりしているのだろうか。
我々が前の瞬間に縋り付いたり、次の瞬間に待ち切れずに
手を出したりするのは、恐怖からだと私は思っている。
恐怖が「翼がある生命」を滅ぼすのである。そしてこの恐怖
を追い払うのには、どうすればいいのだろうか。
恐怖はその反対である愛によってでなければ追い払えなくて、
心が愛で一杯になっている時には、恐怖や疑惑が入り込む余地
はない。そしてこの恐怖を感じないということが踊りの秘訣
であって、二人の人間のどちらもが愛する余りに、相手も
自分を愛してくれているかどうか考えることを忘れ、ただ
自分が愛していて、その音楽に合せて動いていることしか
念頭にない時、二人は初めて同じ律動に完全に調子を合せて
踊ることができるのである。
抜粋ここまで-----
私もそんな恐怖に囚われていたひとり。
愛する人の過去や二人の現在、そして未来。でも家族が
増えていく中で、確実に信頼は深まって。いま家から遠い
この地で、私の心はまるで子宮で羊水に包まれているように
温かく、心地好い。自然と家族の愛がこんなにも近くにある。
それがどんなに幸せなことか、ひしひしと感じている。
妄想でもお伽でもない、現実と結び付いた愛情。
誰もが当たり前に求めているもの。
Yのflickrアカウントに鹿児島滞在アルバムの一部を
アップしました。よかったら覗いてみて下さい~。
今日のおやつ:
叔母がくれた手作りおやつ、「小麦だんご」。
餡子がもちもちした小麦粉にくるまれている素朴な味。
竹の皮で包んである保存食。昔の人の知恵は無駄がない。
2011年4月21日木曜日
カラスノ巣ニ何ヲ想フ
家の前にある木にはカラスの巣があります。毎日カラスの
動きを見ていると、カラスの世界に興味がわきます。
都会では決して見られないカラスの姿。ここではカラスが
人間を攻撃することはないそうです。
熊も、鹿も、鳥も人間の住む場所に出没せざるを得ない
状況に追い詰められています。人間が被害者のような顔を
しているけど、まるで逆なのだと実感します。
場所が変わると、カラスに対するイメージがこんなに違う。
子育ての中で考えさせられることがいっぱい。
出産してあっという間に10日経ちました。新しい世界に
戸惑い、泣き通しだった赤ん坊もだいぶ我が家に慣れて
きた様子。今日はほとんど泣かずに眠ったり、光の射す方
を見て眩しそうに目を細めたり。
飲んで出して寝る…それだけの繰り返し。
命がぎゅーっと凝縮されているような時間。
ありがたいことに二人目も完全母乳で育てることができそう。
自分の血液が、我が子の栄養のすべてで、からだをつくるもと
になる。いつか後悔したり、自分を責めたりしないように、
食生活により一層気をつけたくなりました。
今までと違うのは、乳製品をなるべくやめていること。
ヨーグルト大好きな息子には可哀相だけど、これからは
豆乳ヨーグルトを作ってみようかと…。パンに含まれて
いる脱脂粉乳は気にせず食べてしまっているけれど。
帰宅後はパンもなるべく自分で作るようにしたいです。
そして肉類の摂取は魚だけになりました。ここにいると
海の幸が豊富すぎて、肉を食べたいと全然思わなくなり…。
魚を食卓にだそうとすると、自ずと和食になり、麺類を
ほとんど食べなくなることが分かりました。
ご飯、味噌汁、野菜、海藻、魚。
これがいまの基本の食卓です。
ただ、魚は近所の港で朝捕れたものしか食べていないので
鹿児島をあとにしたら、どうするだろう。
海に関することは色々心配です。
野菜のおかずのレパートリー、増やさなくちゃ。
幸い息子は今まで家で野菜ばかり食べていたので、お肉は
あまり好んでいない様子。ただもう少し大きくなったら、
きっと「肉くれ!」の時期がくるんだろうな。
こどもたちが将来どんなライフスタイルを好み、何を選択
するかは、彼ら次第。ただ、ママとお父ちゃんがどんな
食べ物を好きで、どんな暮らしを好み、環境やエネルギーに
ついてどんな風に考えているか…は、少しずつ伝えていきたい。
今日見つけたベビー関係の被災地支援サイト
PLACE+
そよかぜ屋被災地支援プロジェクト
庭の木々が繁ってきました。まぶしいほどの新緑。
出産前日に植えたトマトの苗が少しずつ成長しています。
カラスの巣から近いので、食べられちゃいそう。
鹿児島にきて少し表情が変わった気がする息子。
小さなからだでいろんなこと、受け止めている。
大きな庭で大きく育て。
2011年4月19日火曜日
はじめてのきもち
私が退院するまでまったく変化のなかった息子(長男)が
すっかり甘えん坊になった。
いつの間にか弟ができて、ママを独り占めできなくなって
しまったから、さみしいのは当たり前。
今まではおとうちゃんと寝ていたのに、ママと一緒に
眠りにつきたくなって。
ママが赤ちゃんを抱っこしていると、にこにこしながら
近寄って、自分も赤ちゃんを抱っこしたがる。
嫉妬することさえ知らない純粋なこどもの気持ち。
赤ちゃんのことは大好きだけど、ママとずっと一緒に
いたい、もどかしい気持ち。
赤ちゃんをかわいがりながらも、ときどき意地悪に
なっていたずらしてみたり。
ちいさなからだで、いろんな気持ちを抱えている。
いろんなことを理解しつつある2歳児。
出来る限り、その気持ちを受け止めてあげたい。
これからどうしても我慢しなきゃいけない状況が訪れる
と思うから。
なるべく不安をなくしてあげたい。
いつでも甘えていいよ、と手を広げていたい。
私もいまは、ちょっと不安だ。2人が同時に泣いていると、
どうしようもなくてすでに困り果てたりして。
3人を笑顔にできるかな。
でもそうやって家族みんなで育っていくんだな。
家族が増えるってやっぱりすごいな。
たくさん甘えて、たくさん甘えられて、与えて、
与えられて、みんなで大きくなろう。
2011年4月18日月曜日
出産記録、re-start
昨日無事に退院し、赤ちゃんと家に帰ってきました。
本当の「自宅」ではないけれど、私たちが新しいスタート
をきった場所。4人で暮らすはじめての家。
私自身も4人家族の家庭で育ったせいか、いつからか
自分も家族は4人になると想像していたような…
でも本当にこうして家族が増えると、言葉にならない
幸せを感じます。
何が起こるかは誰にも分からないけれど、おそらく
これが最後の出産。自分の記録としてバースレポート
を残しておこうと思います。
予定日:4月8日
4月11日
1:00am
陣痛らしき痛みはじまる
だいたい15分おき
3:00am
ほんの少し破水したような感覚、微量だったので
よく分からずひとまず様子見。
4:30am
病院に連絡しようとしたら痛みがなくなったので、
とりあえず寝る。
11:00am
検診で病院へ。エコーではもう少し待とうという診断。
内診で破水が発覚し、即入院。
翌日までに産まれなければ促進剤使用を告げられる。
15:00pm
不規則な微弱陣痛。
夫と息子は一旦帰宅。
19:00pm
15分間隔の陣痛はじまる。夕食を食べて陣痛室へ移動。
21:30pm
5分間隔の本格的な陣痛はじまる。夫と息子が到着。
息子は病室で睡眠。夫のマッサージ開始。
22:00pm
陣痛最高潮に。ベッドでもがき苦しむ。まだ産めないと
分かっていながら、もう無理と思い助けを求める。
22:30pm
もう出てきてしまいそうな感覚。分娩室へ移動する。
22:45pm
分娩台へあがり、痛みに耐えられないので、絶対すぐ
産む、と気合いを入れる。
22:55pm
三回いきんで出産。あまりの早さに驚かれる。
3140gの男の子。はじめて触れたときの感触と温度が
忘れられない。
Yは今回も大喜びで助産婦さんと隣室で大盛り上がり。
私はひとり分娩台で安堵感に包まれ呆然。
部屋に戻るとなぜか息子が目を覚まし私に笑顔を
見せました。三人で抱き合って、Yと息子は帰宅。
その夜は気分が高揚して眠れませんでした。
命が誕生した瞬間。
その瞬間に彼の人生がスタートしました。
そして私も、彼の未来が少しでも明るくなるよう全力で
支えたいと決意を新たにしたのでした。
彼の名前は
麓(ろく)
と名付けました。
Yが大好きな山にちなんだ名を付けたくて。
長男・稜太は山の稜線。
兄弟で山の上から見守り、山の下から支えていけるように…
という願いを込めました。
よく見ると、鹿児島の「鹿」の字が入っていて偶然だけど
運命のようなものも感じました。
4人で山登りに行ける日が本当に楽しみです。
あと一ヶ月ちょっと、ここ鹿児島の地ではじまるさらに
新しい生活をまたブログで報告させていただきます~。
庭で風に泳ぐ鯉のぼり。元気に育ってくれればそれだけで。
帰宅すると庭の様子もだいぶ変わっていました。
花の移ろい。自然から知る時間の経過。
家に帰るとご馳走が!叔母が鯛をさばいてくれました。
もう少し、この場所で。
自然のリズムで生きてみよう。
本当の「自宅」ではないけれど、私たちが新しいスタート
をきった場所。4人で暮らすはじめての家。
私自身も4人家族の家庭で育ったせいか、いつからか
自分も家族は4人になると想像していたような…
でも本当にこうして家族が増えると、言葉にならない
幸せを感じます。
何が起こるかは誰にも分からないけれど、おそらく
これが最後の出産。自分の記録としてバースレポート
を残しておこうと思います。
予定日:4月8日
4月11日
1:00am
陣痛らしき痛みはじまる
だいたい15分おき
3:00am
ほんの少し破水したような感覚、微量だったので
よく分からずひとまず様子見。
4:30am
病院に連絡しようとしたら痛みがなくなったので、
とりあえず寝る。
11:00am
検診で病院へ。エコーではもう少し待とうという診断。
内診で破水が発覚し、即入院。
翌日までに産まれなければ促進剤使用を告げられる。
15:00pm
不規則な微弱陣痛。
夫と息子は一旦帰宅。
19:00pm
15分間隔の陣痛はじまる。夕食を食べて陣痛室へ移動。
21:30pm
5分間隔の本格的な陣痛はじまる。夫と息子が到着。
息子は病室で睡眠。夫のマッサージ開始。
22:00pm
陣痛最高潮に。ベッドでもがき苦しむ。まだ産めないと
分かっていながら、もう無理と思い助けを求める。
22:30pm
もう出てきてしまいそうな感覚。分娩室へ移動する。
22:45pm
分娩台へあがり、痛みに耐えられないので、絶対すぐ
産む、と気合いを入れる。
22:55pm
三回いきんで出産。あまりの早さに驚かれる。
3140gの男の子。はじめて触れたときの感触と温度が
忘れられない。
Yは今回も大喜びで助産婦さんと隣室で大盛り上がり。
私はひとり分娩台で安堵感に包まれ呆然。
部屋に戻るとなぜか息子が目を覚まし私に笑顔を
見せました。三人で抱き合って、Yと息子は帰宅。
その夜は気分が高揚して眠れませんでした。
命が誕生した瞬間。
その瞬間に彼の人生がスタートしました。
そして私も、彼の未来が少しでも明るくなるよう全力で
支えたいと決意を新たにしたのでした。
彼の名前は
麓(ろく)
と名付けました。
Yが大好きな山にちなんだ名を付けたくて。
長男・稜太は山の稜線。
兄弟で山の上から見守り、山の下から支えていけるように…
という願いを込めました。
よく見ると、鹿児島の「鹿」の字が入っていて偶然だけど
運命のようなものも感じました。
4人で山登りに行ける日が本当に楽しみです。
あと一ヶ月ちょっと、ここ鹿児島の地ではじまるさらに
新しい生活をまたブログで報告させていただきます~。
庭で風に泳ぐ鯉のぼり。元気に育ってくれればそれだけで。
帰宅すると庭の様子もだいぶ変わっていました。
花の移ろい。自然から知る時間の経過。
家に帰るとご馳走が!叔母が鯛をさばいてくれました。
もう少し、この場所で。
自然のリズムで生きてみよう。
2011年4月11日月曜日
土と暮らす photo diary
今日高円寺で行われた反原発デモ。参加者は約1万5千人だ
そうです。ドイツの24万人には及びませんが、それだけの人が
ひとつの街に集まって、意志を表明したのは、すごいことだと
思います。この流れ、どんどん大きくしていけたら、世の中を
変える力になると信じています。
今日印象的だったのは、福島第1原発で作業中の30代の男性
作業員が体調不良を訴え病院に搬送された、というニュース。
そのニュースには「男性の被ばく量は4・84ミリシーベルトで、
この日の計画被ばく線量5ミリシーベルトを下回っていた。」
という一文が言い訳のようにくっついていました。
現場や被災地にいる方々にとっては、精神的にもかなりの
ダメージがあると思います。精神的な状態も健康にかなりの
影響を及ぼすはず。被ばく線量だけでは計り知れないことが
たくさんあるように思えます。
政府は放射性物質の基準値が○○以下だから、健康に影響
はないといっているけれど、やっぱり自分で出来る限りの
ことをしなければ...と改めて思いました。
花粉症だって、化学物質過敏症だって、アトピーだって、
誰もが同じ量の物質を体内に取り込んだときに発症する
わけじゃなくて。
ひとりひとりバケツの大きさは全然違う。同じものを
吸い込んでも発症する人、しない人がいる。
そして自分のからだにいつ何が起きるかは誰にも分からない。
だから、こどもたちのためにもなるべく出来る限りのことを
したいと思うのです。
友人Yさんのブログで紹介されていた、放射性物質対策について
教えてくださっているあや伽さんのブログ。
やはり、基本的に対策はがんやアレルギー予防と同じ。
昔からの知恵と食事で生活する。プラス海藻類を積極的に摂る
こと。すべて実践することはできていないけれど、なるべく
心がけています。
庭の桜も満開になりました。
手水に落ちる桜の花びら。
まだ産まれる様子がないので、今日は昔の人にならって畑仕事
をしてみました。まずは草刈り。土を掘るとカタツムリの殻や
ミミズが埋まっていて、普段どれだけ地上の世界しか見て
いないかに気付きます。
梅の実も少しずつ膨らんでいます。
Yは叔母が剪定した木を焚き火で燃やす担当。もう完全に肌の色
が南の人です。お昼ご飯はほぼ毎日庭で食べています。
今日はドラム缶でできた窯に網をのせて、干物と草餅を
焼いて食べました。
自然のままの庭は本当に無限の可能性を秘めています。
食後は草餅作りに備えてヨモギ集め。そこらじゅうに食べられる
草が生えているので、近々野草の天ぷらも作る予定。
それから私たちの畑に堆肥を撒いて耕し、いろんな野菜の
苗を植えました。最後の仕上げは水やり。
息子も私たちの姿を見て、一生懸命シャベルで真似してみたり、
道具を片付けたり。
植えた野菜は、南瓜、胡瓜、トマト、唐辛子、獅子唐、茄子。
ここまでやったらもう夕方。聞こえる音は鳥の声から蛙の声に。
戸口に座って蕗の皮を剥きながら、息子とYの畑仕事を眺めると
息子のズボンには、またひとつ穴が開いていました。
きれいに作りこんである庭じゃなくて、そのまんま、の庭。
虫がいっぱいいて、雑草もいっぱいあって。
それが私たちの心身を満たし、健康にしてくれています。
そうです。ドイツの24万人には及びませんが、それだけの人が
ひとつの街に集まって、意志を表明したのは、すごいことだと
思います。この流れ、どんどん大きくしていけたら、世の中を
変える力になると信じています。
今日印象的だったのは、福島第1原発で作業中の30代の男性
作業員が体調不良を訴え病院に搬送された、というニュース。
そのニュースには「男性の被ばく量は4・84ミリシーベルトで、
この日の計画被ばく線量5ミリシーベルトを下回っていた。」
という一文が言い訳のようにくっついていました。
現場や被災地にいる方々にとっては、精神的にもかなりの
ダメージがあると思います。精神的な状態も健康にかなりの
影響を及ぼすはず。被ばく線量だけでは計り知れないことが
たくさんあるように思えます。
政府は放射性物質の基準値が○○以下だから、健康に影響
はないといっているけれど、やっぱり自分で出来る限りの
ことをしなければ...と改めて思いました。
花粉症だって、化学物質過敏症だって、アトピーだって、
誰もが同じ量の物質を体内に取り込んだときに発症する
わけじゃなくて。
ひとりひとりバケツの大きさは全然違う。同じものを
吸い込んでも発症する人、しない人がいる。
そして自分のからだにいつ何が起きるかは誰にも分からない。
だから、こどもたちのためにもなるべく出来る限りのことを
したいと思うのです。
友人Yさんのブログで紹介されていた、放射性物質対策について
教えてくださっているあや伽さんのブログ。
やはり、基本的に対策はがんやアレルギー予防と同じ。
昔からの知恵と食事で生活する。プラス海藻類を積極的に摂る
こと。すべて実践することはできていないけれど、なるべく
心がけています。
庭の桜も満開になりました。
手水に落ちる桜の花びら。
まだ産まれる様子がないので、今日は昔の人にならって畑仕事
をしてみました。まずは草刈り。土を掘るとカタツムリの殻や
ミミズが埋まっていて、普段どれだけ地上の世界しか見て
いないかに気付きます。
梅の実も少しずつ膨らんでいます。
Yは叔母が剪定した木を焚き火で燃やす担当。もう完全に肌の色
が南の人です。お昼ご飯はほぼ毎日庭で食べています。
今日はドラム缶でできた窯に網をのせて、干物と草餅を
焼いて食べました。
自然のままの庭は本当に無限の可能性を秘めています。
食後は草餅作りに備えてヨモギ集め。そこらじゅうに食べられる
草が生えているので、近々野草の天ぷらも作る予定。
それから私たちの畑に堆肥を撒いて耕し、いろんな野菜の
苗を植えました。最後の仕上げは水やり。
息子も私たちの姿を見て、一生懸命シャベルで真似してみたり、
道具を片付けたり。
植えた野菜は、南瓜、胡瓜、トマト、唐辛子、獅子唐、茄子。
ここまでやったらもう夕方。聞こえる音は鳥の声から蛙の声に。
戸口に座って蕗の皮を剥きながら、息子とYの畑仕事を眺めると
息子のズボンには、またひとつ穴が開いていました。
きれいに作りこんである庭じゃなくて、そのまんま、の庭。
虫がいっぱいいて、雑草もいっぱいあって。
それが私たちの心身を満たし、健康にしてくれています。
2011年4月10日日曜日
3人の畑
とても気持ちよく晴れた空のした、叔母の手ほどきのもと
小さな耕運機で土を耕しました。まさか自分の人生で
こんなにはやく土を耕す経験をするとは。
息子とYも一緒に耕した土。
叔母は「ここは好きに使っていいから、なんでも好きなもの
を植えてね」といってくれました。
さあ、何を植えようか。
帰るまでに実るかは分からないけれど、耕して、畝をつくって
苗を植えて、水を蒔いて、毎日見守ろうと思います。
こんな遠いところで命を生み、育てることになろうとは、
本当に人生は不思議。
来てからたったの2週間。もうここは第二の故郷となって
いて、毎日土から水から空から、人から学んでいる。
予定日を過ぎて、まわりの人からは「まだ産まれない?」
「もうそろそろ?」と聞かれるように...
少しだけ私が感じている不安を、Yはすっかりお見通しの
様子で、あたたかく何気なく見守ってくれている。
こういうときに余計なことを言わず、ただどーんと
構えててくれるのが、実はすごく大きな支えになったりする。
2年前13時間かけて一緒に出産を乗り越えて。
1年前3日間かけて一緒に卒乳を乗り越えて。
母親としては頼りすぎというほど頼っているのに、
文句ひとつ言わないで、ずーっと私を、息子を、
支えてくれている。
もっともっと歳をとったら、どんな大きな山になっちゃう
んだろう。私はその山に寄り添って、明るく照らす月
だったり、静かに流れる川だったり。そんな風にありたい
と思った美しい三日月の夜。
小さな耕運機で土を耕しました。まさか自分の人生で
こんなにはやく土を耕す経験をするとは。
息子とYも一緒に耕した土。
叔母は「ここは好きに使っていいから、なんでも好きなもの
を植えてね」といってくれました。
さあ、何を植えようか。
帰るまでに実るかは分からないけれど、耕して、畝をつくって
苗を植えて、水を蒔いて、毎日見守ろうと思います。
こんな遠いところで命を生み、育てることになろうとは、
本当に人生は不思議。
来てからたったの2週間。もうここは第二の故郷となって
いて、毎日土から水から空から、人から学んでいる。
予定日を過ぎて、まわりの人からは「まだ産まれない?」
「もうそろそろ?」と聞かれるように...
少しだけ私が感じている不安を、Yはすっかりお見通しの
様子で、あたたかく何気なく見守ってくれている。
こういうときに余計なことを言わず、ただどーんと
構えててくれるのが、実はすごく大きな支えになったりする。
2年前13時間かけて一緒に出産を乗り越えて。
1年前3日間かけて一緒に卒乳を乗り越えて。
母親としては頼りすぎというほど頼っているのに、
文句ひとつ言わないで、ずーっと私を、息子を、
支えてくれている。
もっともっと歳をとったら、どんな大きな山になっちゃう
んだろう。私はその山に寄り添って、明るく照らす月
だったり、静かに流れる川だったり。そんな風にありたい
と思った美しい三日月の夜。
2011年4月8日金曜日
The sense of wonder, again
昨日に引き続き、ママ友だちOさんが送ってくださった本
について。
以前も記事で書いたような気もするレイチェル・カーソン
の「センス・オブ・ワンダー」を再度読みました。
40年以上も前に「沈黙の春」で、私たちに環境の汚染と
破壊について警告した彼女の、最期のメッセージがこの本。
もしまだ彼女が生きていたら、今の日本について何を想う
だろうか。日本のみならず、世界中で汚染され続ける環境
について、きっと心を傷めるだろうな。だからといって
落ち込んでいる余裕はなくて、行動し続けるしかないから、
きっとメッセージを発信し続けたことだろう。
その行動力の源こそが「センス・オブ・ワンダー」:美しい
もの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性。
今日息子が出会ったwonderについて、思いを巡らせてみる。
叢から顔を出したてんとう虫が、葉っぱのいちばん先から
飛ぶところ。それを見た息子は「てんてんてん、もっかい
��おいで)」と手招き。
庭を何種類もの鳥が飛び交って、枝から枝に移る姿。
じいじいじいー、と泣く虫の音。
蒔いた種が土から芽を出した初めての瞬間。
むっくりと頭をもたげる美しい若葉色の芽。
息子はそれを触らずに見守る必要があることを、
なぜかすでに知っています。
空から落ちた無数の花びらを息子が不思議そうに
指差す。私は桜の木を指差して、あの花が風と一緒に
ここまで降ってきたんだよ、と言ったら、息子は
「ねー」と相槌。
夕方は近くの林道でハイキング。下には落ち葉の絨毯。
上には満開の桜。木の棒で地面を掘ったり、落ち葉を
蹴飛ばしたり、アリの行列をいつまでも見つめたり。
こどもと見つける宝物。世界は未知のもので溢れている。
自然のなかに生きる美しいもの、未知なもの、神秘的なもの。
どうしてもこどもたちに残したい。
ハイキングで、少しおなかの赤ちゃんが下がったかも??
予定日は過ぎるような気がしています。
について。
以前も記事で書いたような気もするレイチェル・カーソン
の「センス・オブ・ワンダー」を再度読みました。
40年以上も前に「沈黙の春」で、私たちに環境の汚染と
破壊について警告した彼女の、最期のメッセージがこの本。
もしまだ彼女が生きていたら、今の日本について何を想う
だろうか。日本のみならず、世界中で汚染され続ける環境
について、きっと心を傷めるだろうな。だからといって
落ち込んでいる余裕はなくて、行動し続けるしかないから、
きっとメッセージを発信し続けたことだろう。
その行動力の源こそが「センス・オブ・ワンダー」:美しい
もの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性。
今日息子が出会ったwonderについて、思いを巡らせてみる。
叢から顔を出したてんとう虫が、葉っぱのいちばん先から
飛ぶところ。それを見た息子は「てんてんてん、もっかい
��おいで)」と手招き。
庭を何種類もの鳥が飛び交って、枝から枝に移る姿。
じいじいじいー、と泣く虫の音。
蒔いた種が土から芽を出した初めての瞬間。
むっくりと頭をもたげる美しい若葉色の芽。
息子はそれを触らずに見守る必要があることを、
なぜかすでに知っています。
空から落ちた無数の花びらを息子が不思議そうに
指差す。私は桜の木を指差して、あの花が風と一緒に
ここまで降ってきたんだよ、と言ったら、息子は
「ねー」と相槌。
夕方は近くの林道でハイキング。下には落ち葉の絨毯。
上には満開の桜。木の棒で地面を掘ったり、落ち葉を
蹴飛ばしたり、アリの行列をいつまでも見つめたり。
こどもと見つける宝物。世界は未知のもので溢れている。
自然のなかに生きる美しいもの、未知なもの、神秘的なもの。
どうしてもこどもたちに残したい。
ハイキングで、少しおなかの赤ちゃんが下がったかも??
予定日は過ぎるような気がしています。
2011年4月7日木曜日
half tide
今日もまだこれといった出産の兆候はないままでした。
はやくきてほしいような、きてほしくないような。
初めてのときは、真っ暗闇にとびこむような感じだった
けれど、今回はああなって、こうなって...と色々想像
できるので、頭の中には妄想がいっぱい。
とにかくあまり心配せず、自然のサイクルに身を任せ
痛みを乗り越えたいです。
もしあの「誕生する瞬間」や「自然の一部であること」
や「命を生む奇跡」を誰もが知っていたら、世の中はもっと
いい方向に動くかもしれない。それを経験した母親だから
こそ伝えられることはいっぱいあるような気がしています。
昨日ママ友だちのOさんから、3冊の本が届きました。
私が間もなく出産を迎えることもあり、自然にまつわる
ストーリーを選んでくれたとのこと。
そのうちの一冊、「空の匂い、海の息吹」をさっそく
読み終えました。
この物語の作者、レベッカ・レイノルズが属している
「アニマルズ・アズ・インターミディアリーズ(AAI)」
は、入院治療を行う医療施設に自然を持ち込むという形式で
教育・治癒プログラムを実施している団体。
生まれながらにしてHIVキャリアのこどもや虐待を受けた
こども、さまざまな障害を抱える人々のいる場所を訪れ、
季節ごとの自然美をともに享受するなかで、心を閉ざして
いる人々が、遠い日の記憶や人間本来の自然の感覚を
取り戻していくというエピソードをまとめたストーリー。
近頃は何を見ても聞いても、今回震災の傷を負った人と
結びつけて考えてしまうようになりました。そして結局
たどり着くのは、「わたしたちがどんなに自然から大きな
ダメージを受けようとも、その自然とともに共存していく
しかない。ときに命を奪う自然は、同時にわたしたちの
命の源であり、幸福の源でもあるから。」という自分なりの
結論。もし実際に自分が被害を受けていたら、そんな考えは
捨ててしまうくらい自然を憎むかもしれない。でも時間が
経てば、結局そこに戻ってくるような気がするんです。
これまで海や山に足を踏み入れ感じてきたことは、人生に
より確かな何かを与えてくれています。
自然を司るのではなく、自然の力を借りながら人間の知恵を
プラスすること。搾取するのではなく、享受する生活への
シフトが、これからの重要なポイントな気がしています。
この物語を読んで、ますますその思いは強くなりました。
心に残った文章をいくつか抜粋。
抜粋ここから--------
私たちはみな自然を通じてひとつに結ばれており、その絆を
通して、自然との一体感や、自分はどんな環境に生きている
のかという感覚を取り戻すことが出来る。<中略>自然界の
サイクルや季節を知っていること-その知識が困難に立ち向かう
ための環境を整えてくれるのだ。
自然に触れるという体験を通じて、私たちは命が相互に関わり
合っていることを目に見える形で理解し、心と五感とをそれまで
よりも密接に結びつけることができる。動物や自然物の生命
を通じて時と接するということは、すなわち時を通じて世界と
接することだ。
自然界と接するとき、人間は世界の半分は必ず暗闇に包まれて
いることを思い出す。たとえ月が満ちていても、地球の半分は
夜明けを待っているのだ。昼間に活動する私たちは、暗闇を
まったく別世界のように感じている。だがその暗闇は、私たち
が生きる世界の立派な要素であり、地球の半分は常に闇に
覆われている。
抜粋ここまで--------
どんな絶望に陥っても、どんなに未来に不安を抱いても、
立ち上がろうと思えるきっかけは「繋がり」なんじゃないかな
思います。人との繋がり、自然との繋がり、世界との繋がり...
自分が世界に含まれた存在で、自然の一部であること。
損なわれていても、障害を負っていても、「完璧な存在」で
あると互いに認め合うこと。
いまこの国が癒されるためには、人と人との繋がりだけじゃ
なくて、自然との繋がりを意識することがとても大切だと
改めて思いました。
素敵な物語を遠いところから送ってくれたOさんに感謝。
3冊のうちの一冊、レイチェル・カーソンの「センス・オブ
ワンダー」は、Oさんのとても素敵なご自宅のイメージに
ぴったり当てはまることに気付きました。そんな魅力的な
感性をもった友人に出会えたのも、こどものおかげです。
家から眺めた夕焼け空。
はやくきてほしいような、きてほしくないような。
初めてのときは、真っ暗闇にとびこむような感じだった
けれど、今回はああなって、こうなって...と色々想像
できるので、頭の中には妄想がいっぱい。
とにかくあまり心配せず、自然のサイクルに身を任せ
痛みを乗り越えたいです。
もしあの「誕生する瞬間」や「自然の一部であること」
や「命を生む奇跡」を誰もが知っていたら、世の中はもっと
いい方向に動くかもしれない。それを経験した母親だから
こそ伝えられることはいっぱいあるような気がしています。
昨日ママ友だちのOさんから、3冊の本が届きました。
私が間もなく出産を迎えることもあり、自然にまつわる
ストーリーを選んでくれたとのこと。
そのうちの一冊、「空の匂い、海の息吹」をさっそく
読み終えました。
この物語の作者、レベッカ・レイノルズが属している
「アニマルズ・アズ・インターミディアリーズ(AAI)」
は、入院治療を行う医療施設に自然を持ち込むという形式で
教育・治癒プログラムを実施している団体。
生まれながらにしてHIVキャリアのこどもや虐待を受けた
こども、さまざまな障害を抱える人々のいる場所を訪れ、
季節ごとの自然美をともに享受するなかで、心を閉ざして
いる人々が、遠い日の記憶や人間本来の自然の感覚を
取り戻していくというエピソードをまとめたストーリー。
近頃は何を見ても聞いても、今回震災の傷を負った人と
結びつけて考えてしまうようになりました。そして結局
たどり着くのは、「わたしたちがどんなに自然から大きな
ダメージを受けようとも、その自然とともに共存していく
しかない。ときに命を奪う自然は、同時にわたしたちの
命の源であり、幸福の源でもあるから。」という自分なりの
結論。もし実際に自分が被害を受けていたら、そんな考えは
捨ててしまうくらい自然を憎むかもしれない。でも時間が
経てば、結局そこに戻ってくるような気がするんです。
これまで海や山に足を踏み入れ感じてきたことは、人生に
より確かな何かを与えてくれています。
自然を司るのではなく、自然の力を借りながら人間の知恵を
プラスすること。搾取するのではなく、享受する生活への
シフトが、これからの重要なポイントな気がしています。
この物語を読んで、ますますその思いは強くなりました。
心に残った文章をいくつか抜粋。
抜粋ここから--------
私たちはみな自然を通じてひとつに結ばれており、その絆を
通して、自然との一体感や、自分はどんな環境に生きている
のかという感覚を取り戻すことが出来る。<中略>自然界の
サイクルや季節を知っていること-その知識が困難に立ち向かう
ための環境を整えてくれるのだ。
自然に触れるという体験を通じて、私たちは命が相互に関わり
合っていることを目に見える形で理解し、心と五感とをそれまで
よりも密接に結びつけることができる。動物や自然物の生命
を通じて時と接するということは、すなわち時を通じて世界と
接することだ。
自然界と接するとき、人間は世界の半分は必ず暗闇に包まれて
いることを思い出す。たとえ月が満ちていても、地球の半分は
夜明けを待っているのだ。昼間に活動する私たちは、暗闇を
まったく別世界のように感じている。だがその暗闇は、私たち
が生きる世界の立派な要素であり、地球の半分は常に闇に
覆われている。
抜粋ここまで--------
どんな絶望に陥っても、どんなに未来に不安を抱いても、
立ち上がろうと思えるきっかけは「繋がり」なんじゃないかな
思います。人との繋がり、自然との繋がり、世界との繋がり...
自分が世界に含まれた存在で、自然の一部であること。
損なわれていても、障害を負っていても、「完璧な存在」で
あると互いに認め合うこと。
いまこの国が癒されるためには、人と人との繋がりだけじゃ
なくて、自然との繋がりを意識することがとても大切だと
改めて思いました。
素敵な物語を遠いところから送ってくれたOさんに感謝。
3冊のうちの一冊、レイチェル・カーソンの「センス・オブ
ワンダー」は、Oさんのとても素敵なご自宅のイメージに
ぴったり当てはまることに気付きました。そんな魅力的な
感性をもった友人に出会えたのも、こどものおかげです。
家から眺めた夕焼け空。
2011年4月6日水曜日
長島 photo diary
予定日まであと3日。
なんとなーくまだ産まれない気がしたので、今日はいま
一番気に入っている場所に行きました。
家から車で15分ほどの「長島」。ここは新鮮な鰤とアオサ、
サツマイモと鮮やかな花々で有名な島だそうです。
すぐ近くなのに、「島」というだけでだいぶ雰囲気が
変わるのは不思議です。
桜はもう満開。空の青に映えて美しい。
島に入るために橋を渡ります。橋の下の海は流れがはやく、
潮の流れが止まる時間だけ、船が通ります。
島でも特に気に入っているのが「小浜」というビーチです。
木々の間を抜けるとそこには真っ白な砂浜と真っ青な海。
そして誰もいません。
小浜に着く頃息子が寝てしまったので、椰子の木陰で昼寝を
させている間に、私はビーチを散歩。
貝殻拾いをしました。アサリも採れるみたいです。
カニや魚もいたので、夏になって潜ったら楽しそう。
この透明度!なんでこんなに違うんだろう...
ビーチにはごみひとつ落ちていないのもすごいです。
息子は起きるとすぐに「ざぶーん」と言って海へ。
おむつも脱いではしゃぎまわっていました。
Yと息子の姿を見ながら、この場所での生活が本当に
満たされていることを感じました。
汚されていない海と山と里。それだけで「すべてがある」
と感じられるなんて。何もないところで何かを作って
足していくのではなくて、何もないところにいながら
さらにものを減らし、最小限で暮らす素晴らしさ。
ここにきてから、息子の寝つきがとてもよいです。
毎日いっぱいに太陽の光を浴びて、歩いて走って。
「自然保育」というけれど、本当は保育なんかしなくても
そのまんまで、こんなに動き回れるんだなーと発見の日々。
顔や手足にちょっとした傷を作りながら、毎日どんどん
成長し、日に焼ける息子を見て感心しています。
同じ目線でそんな息子とともにはしゃいでくれる
Yにも本当に感謝。私も産後はもっと走り回って
いろんなものを発見したいな。
なんとなーくまだ産まれない気がしたので、今日はいま
一番気に入っている場所に行きました。
家から車で15分ほどの「長島」。ここは新鮮な鰤とアオサ、
サツマイモと鮮やかな花々で有名な島だそうです。
すぐ近くなのに、「島」というだけでだいぶ雰囲気が
変わるのは不思議です。
桜はもう満開。空の青に映えて美しい。
島に入るために橋を渡ります。橋の下の海は流れがはやく、
潮の流れが止まる時間だけ、船が通ります。
島でも特に気に入っているのが「小浜」というビーチです。
木々の間を抜けるとそこには真っ白な砂浜と真っ青な海。
そして誰もいません。
小浜に着く頃息子が寝てしまったので、椰子の木陰で昼寝を
させている間に、私はビーチを散歩。
貝殻拾いをしました。アサリも採れるみたいです。
カニや魚もいたので、夏になって潜ったら楽しそう。
この透明度!なんでこんなに違うんだろう...
ビーチにはごみひとつ落ちていないのもすごいです。
息子は起きるとすぐに「ざぶーん」と言って海へ。
おむつも脱いではしゃぎまわっていました。
Yと息子の姿を見ながら、この場所での生活が本当に
満たされていることを感じました。
汚されていない海と山と里。それだけで「すべてがある」
と感じられるなんて。何もないところで何かを作って
足していくのではなくて、何もないところにいながら
さらにものを減らし、最小限で暮らす素晴らしさ。
ここにきてから、息子の寝つきがとてもよいです。
毎日いっぱいに太陽の光を浴びて、歩いて走って。
「自然保育」というけれど、本当は保育なんかしなくても
そのまんまで、こんなに動き回れるんだなーと発見の日々。
顔や手足にちょっとした傷を作りながら、毎日どんどん
成長し、日に焼ける息子を見て感心しています。
同じ目線でそんな息子とともにはしゃいでくれる
Yにも本当に感謝。私も産後はもっと走り回って
いろんなものを発見したいな。
2011年4月5日火曜日
WEEK 39:rest break in the garden
今日は39週目の検診でした。
こちらに来てからおいしいものばかり食べているので、
案の定体重を注意されました...
赤ちゃんは少し下がってきているものの、まだ生まれそう
とまではいかず、もっと歩かねばいけません。
今日は検診のあと庭のお散歩と畑の水遣り、夕食の買い物
をしに往復30~40分歩く、ダンボールコンポストの仕上げ
をして一日過ごしました。
近所を散歩すると、こどもも大人もすれ違うたびに
「こんにちは」と挨拶。ここではそれが当たり前で、そんな
当たり前に毎日感動している私とY。
夜被災地や原発のニュースを見ているとき以外は、とても
平和な気持ちで日々を過ごしています。
春の訪れは、いのちの訪れ。生き物が活動し始めている
のをひしひしと感じます。生き物は何も知らずに、でも
確実に命を全うして、自然に還っていく...私たち人間は
自分以外の物事を知り、考えるが故に立ち止まって迷ったり、
傷ついたりするけれど、だからこそまた自然とは違う
「美しさ」も知っていたりして。
人間だからこそできる自然への還り方。環境における
自然だけじゃなくて、「自分らしい」という意味でも。
この庭には何も無いけれど、すべてがある。
そんな場所で、そんな心で生きていけたらと思います。
今住んでいる家の庭にある、木々や花たちから春の便り。
庭へと続く道。
いっせいに咲きはじめた花。
今一番気に入っている花。名前を叔母に聞かなくちゃ。
一番背の高い木が桜。満開になる頃は病院かしら。
2011年4月4日月曜日
母なる海
今の家から一番近い海にて。
「海」という字には母が含まれている。
これまでも人間は乱獲・原油流出・廃棄物などで散々
海を汚してきたけれど、今起こっている放射性物質
流出がクローズアップされると、人間がいかに自然を
都合よく犠牲にしてきたか、を痛感します。
海だけが注目されがちですが、雨に含まれる物質は
川や山にも降り注ぎ、影響を与えるはず。
「水に流す」とはよく言ったもので、流れてしまえば
忘れ去られ、自分たちに悪影響を及ぼさないと信じて
いる...海や川に注いだ放射性物質はそのうち薄まる
から大丈夫といわれている...でも本当は流れるからこそ
より多くの人に影響を及ぼすのでは??
「海産物に影響は無い」という情報をテレビで聞く
たびに疑問を感じます。
一方では食物連鎖によって放射能の濃度は凝縮される
という情報も。すべての人にあてはまるわけではない
と思うけれど、食物を通じて人体や遺伝子に影響がある
ことはチェルノブイリの事故が証明しているわけで。
過去の事例についての検証を示さぬまま、安全といい
続ける大きな力に納得がいかない毎日です。
今回の震災で、電気と同様に「水」がいかに重要で
あるかを私たちは実感しました。
人間の体の60%は水であり、水を体に循環させること
で私たちは健康を維持している...
エネルギー問題と同時に、すべては繋がっているという
意識をより強く持たなければ、と田舎暮らしを通じて
ますます感じている次第です。
今日の夕飯は叔母の作ってくれたしめ鯖。
こんな美味しいものを与えてくれる近くの海。
ずっと安心して食べられるといいのにな。
明日からダンボールコンポストをはじめます。
生ゴミも自然との繋がりのひとつ。ゴミの処理にも
エネルギーは使われているから。
コンポストに使う「くん炭」を運ぶ息子。
コンポスト容器となる大きいダンボールを補強。
中に入れるのはピートモス、くん炭、EMボカシ。
うまくいくといいな。
こちらに来てから、私の様子を気にしてブログを見て
くださる回数が増えているようで本当に感謝です。
出産後はブログが更新できないので、ツイッターで
赤ちゃんの様子やら私の心境やらをつぶやくつもりです。
出産の痛みは素直にこわいのですが、予定日まで2週間
をきった状況で遠くへ行く、という「見る前に跳べ」的な
動きができた自分。そしてそれをサポートしてくれた
まわりの人たちに勇気と自信をもらったので、痛みも
乗り切れると思います。
アリガトウがシアワセに繋がって、前にすすむ。
人生この繰り返しだなあ。特にこの数年間は。
2011年4月2日土曜日
1 hour to go
明日になると、おなかの赤ちゃんは息子と2歳差になります。
健康に産まれてくれたらなんでもいいや、と思いつつ、早く
産まれてしまうのも心配だったので、ちょっと安心しました。
明日からはどんどん動いて陣痛を促す予定です。
今日はYが耕した畑に、種を蒔きました。
私たちがいる間に芽を出し、大きく育つよう、毎日見守って
いきたいです。そして息子にも、種を蒔くと芽が出て、
毎日水をあげると育つことを教えたいな。
実際に草を刈り、耕し、種を蒔くと、その土と作物に愛着が
わいて、土地を愛し、その場所から離れられなくなる人々の
気持ちがすごくよく分かります。
住み慣れた場所を離れなければならなかった被災地の方々は
どんなに辛かったことか…
ここに来てから、畑で採ったせりをご飯のおかずにしたり、
地元で採れたキビナゴをさばいて刺身にしたり、親戚が作った
野菜をスープにしたり…
数十年前までは誰もが営んでいた、身近なもので生かして
もらうという生活。
エコという言葉に違和感を感じてしまうくらい、自然の一部で
あることをまだ感じられる暮らし。
おやつには庭のぼんたんを拾って食べ、生ごみは堆肥に。
それはここに住む人たちにとって当たり前のようです。
電力のこともそうだけど、都会で当たり前の便利な生活が、
どんなに不自然なものであるか。地球上で先進国がどんな風に
成り立ち、途上国といわれる地域にどんな影響を与えているか。
こちらにきても、今までのように電気や水道を使っていることに
変わりないのに、なぜか考えさせられる毎日です。
身近なもので、こんなに豊かに生活ができることに改めて驚いた
からかもしれません。震災の影響もあり、eat localだけじゃ
なくて、人間関係・エネルギー問題・生活の術を含むlive local
実現の可能性を感じて。
地方自治体が原発受け入れによって受け取る補助金などに
頼らざるをえないような状況を抜け出すためにも。
関ヶ原の戦いで敗れた最南の地に追いやられた島津家が
薩摩藩を自由な発想で発展させ、倒幕・維新という改革の
担い手になったように。
今こそ政府の力に頼るのではなくて、草の根から立ち上がり
政府を動かすときなんだと感じます。
そんなのとても無理...と思ってしまうような官僚やら
財界やらマスコミやらのしがらみは沢山あるけれど、
幕末の志士を思うと何でもできそうな気もしてきます。
まずは大きな流れをつくること。
今回の選挙に投票できないことはとても残念ですが、知って
おかなければならないこと。
神奈川では若者中心のこんな動きもあったりします。
未来は僕らの手の中プロジェクト
今日ツイッターを辿って見た「チェルノブイリの負の遺産」という
写真たち。出産を迎えつつある私には直視できませんでした。
でも「可能性がある」ということは直視しなければならないし、
もし可能性があるならば絶対に防がなければならない...
とても悲しくなったと同時に、強い義務感も感じました。
絶対にこどもたちに原発を残したくないって、誰もが思うはず。
笑顔がずっと続きますように。
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