2013年7月8日月曜日

美しい姿



手仕事フォーラムが発行している冊子「SILTA」を読んで、

ふと見つけた文章。

その文章が、好きな言葉とリンクして、一本に繋がりました。



SILTA 19号 宗廣コレクションと芹沢銈介の仕事

吉田桂介氏のお話より抜粋

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たとえば、那智の滝ののれんがありますね。

先生のおうちに行くと染めたものが下げてあるんです。

ところが次に行くと文様が少し変わってる。

そして次に行くとまた変わってる。

初めは雲や波があったんですが、行くたびに

簡略化単純化されていって、

最後に滝がすーっとおりてきて後は何もない。

そして非常に品格の高いものになっている。

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アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉より

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「何においてであれ『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、

ありのままの姿に戻ったとき、つまり、

加えるべきものがなくなったときにではなく、

取り去るものがなくなったときに達成されるのである」

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美しい文章や、美しい言葉に出会うと

自分が求めているものや

自分に何が足りないかを見出せる気がします。



今日気がついたのは、美しさは余計なものを脱ぎ去った

無心の中にあるということ。



たくさんたくさん考え抜いて、同じことを繰り返した結果、

考えるということをせずとも勝手にからだが動くようになる。

無我夢中。無我の境地。

美しさが生まれる瞬間には、無心であり、見返りがない。



こんなにいいことをしているんだ、と人に言ったり

自分が何のために生きているかを何度も確認するのは、

未だ道の途中であり、迷走している証拠。

そうしているうちは人の目を気にし、他人に手をだし口を挟む。

純粋な目的のためにではなく、「自分の好きな自分」で

いるために何かをし、そういう自分に酔っているので、

「有我霧中」である。

「母親に褒めてもらいたい」という心理は根深い。

いつも誰かに褒めてもらいたいのかもしれない。



でも真の名作や偉業は、本人が何も言わずとも歴史に残り、

本人が何も言わないほどに美しい。



民藝の手仕事もしかり。

名を残そうと作られたものは凝ったデザインになったり、

本人の個性が強いものになる。

本当にいいものは個性が消えるほどシンプルで

使うほどその美しさや力強さに気付かされる。



その境地に至るのは本当に難しい。

これからもたくさんの美しいものや人に触れ、

削ぎ落とす生き方を実践していきたいです。







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